気まぐれ日記 02年2月

02年1月の分はここ

2月1日(金)「また頚椎(けいつい)が異常・・・の風さん」
 日の短い季節に早朝ミーティングはつらい。夜明け前に起きなければならないからだ。
 ちょっと起床が遅れたために、握り飯を持ってマイカーに乗り込むことになってしまった。
 ・・・と、今朝はハンドルを握る左腕に違和感が。近頃首の痛みを覚えていたが、それが左腕の違和感につながってきた。3番目と4番目の頚椎の圧迫によって、腕の痛みが生じるのである。
 昨年、頚椎の異常が見つかって、薬をもらったりした。でも、どうせ直りっこないと決め付けていたので、年が明けて、薬が切れたところで、そのままにしてあった。やはり、薬は必要なのだろうか。
 勤務中も顔を上げると腕が痛む。いよいよヤバイ。
 月もあらたまったので、15日の勉強会で上京するための切符を購入してきた。今月も来月も15日は金曜日である。魔の金曜日である。誘惑に弱い風さんである。
先月はアクセスカウンターが1ヵ月で1500を超えた。着実に訪問者が増えているようだ。何とか鳴海風の読者になってもらいたい

2月2日(土)「首の痛みをトレーニングで押さえ込む風さんの巻」
 確定申告が近付いているので、ちょっと昨年の収入(会社からもらっている給料以外ね)を計算してみたら、ギョッとするほど多かった。一番の誤算は、『和算忠臣蔵』の印税が昨年中に振り込まれてしまったこと。それが判明した時点で、もっと色々と必要なモノを購入するべきであった。それでも、貴族(銀座のクラブ)で関係者を招待し「『和算忠臣蔵』のヒットを祈念する夕べ」を開催したのは良かった。『和算忠臣蔵』の完売にはつながっていないが、少なくとも必要経費の積み上げには貢献している。とにかく、今年はケチケチせず、執筆に必要な機器・資料・文献の購入、取材旅行、各種芸術鑑賞などに先行投資していこう。
 ということで、急遽、明日はパソコンを購入しに行くことにした。
 朝から、依然として首の周りが痛いので、トレーニングに出かけた。普通のメニューをこなし、体重、血圧とも異常なし。体脂肪率は19.7%。スカッとした。
 帰宅したら、またまた鈴木輝一郎さんから新刊本が届いていた。もう恐るべき出版ペースである。あの人の半分くらいでも頑張りたい、と日頃から目標にしているのだが、3分の1でもいい、そんな風に思う。ちなみに届いた本は、『真田密伝』(角川春樹事務所 1900円税別)である。立派なハードカバーだ。

2月3日(日)「シルバー鬼になる・・・の風さん」
 今朝の3時半に就寝して、9時半に起きた。それほど眠くないということは、6時間の睡眠時間が適当なのか。4時間ぐらいでバリバリ行動できたらいいのにな。
 小雨の降る中、パソコンを買いに出かけた。間が約2年近くあいてしまったので、すべての性能が飛躍的に向上してしまった。CPUはペンティアムVの1GHz、メモリは256MB、HDは40GBで、その他はオールインワンというスグレモノである。次に傑作は、このパソコンから生み出されるのだ(ひゃあ〜、カッコいい!)。
 そして、今日は節分であった。子供らが、ひっそりと「鬼は外、福は内」とやったので、きっと鬼も福も出入りはないだろう。今年も、猫のシルバーが鬼の面をかぶったので、デジカメに収めた。ほんまに変な猫や。


2月4日(月)「整形外科へ行った風さんの巻」
 昨日購入したノートパソコンのOSは、WINDOWS XPである。オールインワンだが、MOはない。所持している外付けのMOをつないだら、これはWINDOWS 98用で、ドライバのインストールの途中で警告が出た。というわけで、今日、何度もサポートセンターへ電話したのだが、いつも話中であった。結局、機器メーカーのホームページで調べてみたら、XPでも使えるドライバーのインストール方法がダウンロードできることが分かり、それでようやくMOの接続が出来た。これにより、モバイルからさまざまのデータを一気に移動させることができる。
 金曜日以来、首や肩の凝りと腕の痛みが出ているので、とうとう、今日、会社の帰りに整形外科へ寄ってきた。薬をもらったので、明日から楽になると思う。
 帰宅したら、また新たな原稿料の支払調書が届いていた。これで、昨年の年収がまた増えてしまった。経費の集計が怖くなってきた。

2月5日(火)「久々に起きられない風さんの巻」
 もらった薬のせいかは知らないが、今朝は元気に起きられなかった。それで、ウトウトしながら時間が過ぎて行き、1時間寝坊してしまった。
 昼休みに、昨夜読んだ知人の作品の感想を書き、メールで自宅へ送信した。家のパソコンから知人へ転送するのである。一見うまいやり方のように思えるかもしれないが、実は、毎日持参しているノートパソコンを立ち上げれば、携帯電話を接続して、その場から送信できるのである。それをしないのは、ノートパソコンを立ち上げている時間的な余裕がないからだ。1日は24時間もあるというのに、どうして、こうおいらは余裕がないのだろう。と、不思議そうに書いているが、どうってことはない、単なるノロマなだけなのだが。
 しかし、時間があれば、やりたいことはいくらでもある。たとえばアイボのコロをうまくコントロールしてみたい。つい先日新聞で知ったのだが、アイボ遊戯団というのがある。5匹のアイボを無線LANで操って、さまざまのパフォーマンスをさせているらしい。しかも、制御ソフトをフリーでダウンロードできる。むむ。試してみたい〜!

2月7日(木)「何やってんだか・・・の風さん」
 MOの次はターミナル・アダプターをつないでやれ、と思って、昨夜挑戦したのだが、これがうまく行かなかった。理由は二つ。OSがウィンドウズXPのために、ドライバーのソフトが対応していないこと。そして、ここがややこしいのだが、2台のターミナル・アダプターを同時にしようしたことだ。
 今日は、とりあえずホームページから最新のドライバーをダウンロードして、1台のターミナル・アダプターだけを使用して、動作確認とユーザー登録だけ終えた。明日以降、S点ユニットを購入して、ターミナル・アダプターの増設に挑戦だ。
 とはいえ、すげえ時間を食ってしまい、読書はもちろん、執筆も停滞中。
 NHKの番組情報誌「ステラ」が届いた。1月12日のBS−2「ブックレビュー」で放送されたお薦め3冊が掲載されている。小さな紹介記事だが、これでまた何冊か売れて欲しい。
 月曜日にもらった頚椎の薬を飲み出してから、だいぶ首や肩の具合が良くなった。

2月9日(土)「人間ドックの結果・・・の風さん」
 1月26日に受診した人間ドックの結果を聞きに行ってきた。
 会社の大腸ガン検診が陽性となったことが、今回の人間ドック受診のきっかけである。その大腸ガン検診について言えば、今回は「シロ」。ふん。ざまあ見ろ! 何でもないのに、あやうく腸の内視鏡検査を受けるところだったぜ。
 と、ところが、一難去ってまた一難。胸部レントゲンが要精密検査となった。これは初めてだな。例の喀痰検査は、材料不適ということで判定不能だったから、判断材料にはならない。いずれにせよ、風さんはタバコを吸わないので、きっと何でもないだろう。もし本当に異常があったとすれば、被害者であり、誰かを呪わねばならない。
 また一難と書いたが、実は二難であった。もうひとつ。胃にポリープが発見された。蛋白質らしいCA19−9がやや高いのが気になるが(胃がんになると、この値が異常に高くなるらしい)、恐らく良性のものでしょうとのこと。でも、これは、本人を動揺させまいとする医師の、高等テクニックかもしれぬ。胃カメラは死んでもイヤだ、と言ったら、「もう一度バリウムを飲んで再検査したらどうですか」と来た。むむ。なかなか融通性のあるドクターだ。
 気が向いたら、どこかの病院へ行ってみよう。
 夕方、トレーニングに行って来た。今日は、少しウェイト・オーバーで、体脂肪率は20.5%であった。

2月10日(日)「超不機嫌・・・の風さん」
 実は金曜日から機嫌が悪い。色々あって、ストレスがたまっている。母親の遺伝なのか、ストレスがたまるとお金をつかう。何か買ってしまうと幾分スカッとする。金曜日は退社後近くのパソコンショップへ(狙いを定めて)直行したのだが、なかった。それで、昨日は別のショップへ行き、尋ねてみると、すべて取り寄せることになるという。中には、仕様が合わないことも判明した品物があった。それでも、めげずに、注文すべきは注文し、後で買う物はじっくりカタログで品定めしてから、と平静を保った(ドックによる異常発見もまあ気に入らない出来事ではあった)。
 と、ところが、昨夜、また(と言うのは、前科があるという意味だ)ISDNがつながらなくなってしまった。途中でターミナル・アダプターの電源を落としたのがいけなかったのかも。設定はすべて問題なく、配線関係も異常がないのは、以前と同じだ。前は突然なおったので、原因は分からずじまい。だから、今回も手の打ちようがない。やむを得ず、内蔵モデムでの接続でしのいだ。
 で、一夜明けても、全く症状に改善は見られない。その状態で、次々と不愉快なことが起きるものだから、ついにキレた。ストレス発散のために、今日も買い物に行こうと目論んでいたのだが、もうその気も失せた。精神状態は超不調である。
 明日から会社。週末は上京し、用事が盛り沢山なのに、どうする?

2月11日(月)「雪もよいの朝・・・の風さん」
 祭日なので空いた道路をぶっとばしていくと、勤務地が近くなったあたりがうっすらと雪景色である。昨夜来の冷え込みが、このへんでは雪になっていたのか、と育った秋田の冬を懐かしく思った。
 昨夜の出来事をひとつ。夕食の最中に、K新聞社学芸部から電話があり、『和算忠臣蔵』の記事を載せたいので、解説文を書いて欲しいという依頼だった。電話を寄越した学芸部員は大学の同窓で、1年あとの文学部であることが、学生番号から知れた(私は48T***で、彼は49L***)。暦をめぐる暗闘が背景になっているのがポイントなので、そのへんを分かりやすく書いてくれ、とのことだった。すぐ承知し、食後、原稿を書き上げFAXした。あまりの対応の速さに、49L***の彼は驚くだろう。
 朝から雪景色を眺めたが、まだ機嫌は直っていない。
 帰宅して、資料読みを続けている。さっぱり、はかどらない。

2月13日(水)「何年ぶりかで風邪・・・の風さん」
 昨日、起床したら喉が痛かった。夕方、退社時間が近付いたら、熱っぽかった。やばい、と思ったので、早めに退社し、夕食をとり薬を飲んですぐ寝た。7度4分の微熱があった。
 午前2時半に目覚めた。体が水分を求めていた。オレンジ・ジュースを飲んで、また寝た。熱は下がっていたようだった。
 今朝は、いつも通りに目が覚めたが、喉の痛みに加えて体の節々が痛い。私は風邪をひくといつもこういった症状だ。これで、診断結果は風邪と決定。ただし、発熱の度合いからみてインフルエンザではなさそうだ。先ずはひと安心。でも、こじらせたら週末の上京計画がパーになる。出社はあきらめて寝ることに。
 寝れる、寝れる、いくらでも寝れる。途中でちょっと活字を読みかけてもすぐ疲れて寝てしまう。ひたすら風邪薬と睡眠で風邪と戦った。夜の7時過ぎになって、ようやく体の節々の痛みが薄らいだ。快方に向かっている。やれやれ。
 メールチェックして、気まぐれ日記を書いたので、また就寝する。

2月14日(木)「上京準備オッケー・・・の風さん」
 例年バレンタインデーとはほとんど無縁(とは言えないか、義理チョコはたくさんもらえる)の風さんである。ただニキビが気になるので、食べないまま冷蔵庫の中で乾燥してしまうことが多い。今年は、罰が当たらないように、初日に何個か食べた。実は、チョコレートは大好きなのだ。特に、ウィスキーとかブランデーのつまみに食べるのが好きだ。
 携帯でK新聞社学芸部の記者氏と話した。結局、記事は私の解説文を参考に記者氏が書いてくれた。今月中には記事・・・というか書評として載りそうである。これも貴重な書評になるだろう。
 執筆は難航しているけれども、風邪も直ったことだし、元気を出して、明日から上京である。やることは一杯ある。ワイフも同伴したかったのだが、これだけ過密スケジュールになってしまうと無理だね。一人で走り回ることになる。
 今回の過密スケジュールのために、武器を二つ用意した。秘密兵器である。秘密兵器なので、それが何であるかは教えない。軍事機密だもん。帰ってきてから公開しよう。

2月15日(金)「国際的なビジネスウーマンに降参・・・の風さん」
 自宅発7時半。文庫を1冊抱えて旅に出た。帰宅する時までに、読み終えるだろうか。
 今日も新幹線から富士山がくっきりと見えた。雲一つない青空をバックに5号目あたりまで雪に覆われた富士山だ。短いながらも旅路の幸運を暗示しているに違いない。
 東京駅で荷物をコインロッカーに預け、身軽になって新宿へ向かった。
 
某レストランで待ち合わせたのは、篠田香子さん(香港生まれ。生活の半分は東京、4分の1が北京で、残り4分の1は世界中のどこか。世界中での生活体験を活かした編集やPRの仕事をされている。日大卒。上智大、米国コーネル大学などでも修学)である。以前、彼女の著書『世界あちこち隠し味』(全日法規 1500円税別)の書評をここに書いて以来、メル友になっていた。ドイツで師匠が読んでくれた『和算忠臣蔵』だが、上海で読んでくれたのが彼女である。うまく帰国しているタイミングに初めて対面できることになった。
 なにせ世界中の国で働きながら、そこでの暮らし、食べ物や人間を的確な目でとらえてレポートするという(もちろん企画も彼女)、まるで外国映画か小説の主人公のような人である。私は主に現代中国の実態について、さまざまのことを教示願おうと目論んでいた。もとより私が彼女に提供できるような面白い話題はない。
 やや先に私が着いて、待つほどもなく、彼女は現れた。国際的に握手を求められたら応じるつもりだったが、それはなかったので、あえてこちらからも要求せず。落ち着いた雰囲気の店内に案内され、奥まった席についた。2枚目の役者なら、もっとカッコよくふるまえるのだろうけど、田舎の小説家では無理。あまりアルコールはたしなまないそうで、ランチだけをオーダーした。
 こちらから矢継ぎ早の質問をするのはまずいので、とにかく彼女に好きなように話題を選ばせた・・・のが、思わぬ結果になってしまった。質問に応じて自己紹介しているうちに、小説をどうして書くのかとか、なぜハードカバーにこだわっていて文庫を出さないのかとか、どんどん文学界や出版界の話になり、なかなか彼女のフィールドに入り込めないのである。あとで分かったことだが、次々に質問の矢が浴びせかけられ、ほとんどこちらが先手をとれなかった。これこそ彼女のペース。恐らく海外においても、旺盛な好奇心と回転の速い頭脳から涌き水のように質問が出てくるのだろう。つまり、私はインタビューされまくっただけ。
 そんな調子でどんどん会話が進んでしまった。彼女も中国のプロバイダーでホームページを作った話が出たときなどはチャンスだったのだが、なかなか突っ込んでいけないのが田舎の小説家のうぶなところだ。最後の方で、彼女がSFで新人賞でもとりたいな、という打ち明け話が出てきたので、再び彼女の話題になったりしたが、そこまで。レストランを出たあと、近くの書店で月刊「公募ガイド」を探してあげて、彼女が買って行ったという・・・、結局、私は当初の目的を遂げることができなかった。

―篠田香子さんと―
 今日、彼女からいただいた本は、『世界で探す私の仕事』(講談社 1600円税別)である。冒頭にも書いたように、世界で仕事をしながらレポートした内容をまとめたもので、では、どこでどんな仕事をしたか・・・ミラノで高級ブティック店員、プノンペンでNGO孤児院英語教師、カトマンズで日赤ネパール支局、ムカヤ保護区で野生保護区レンジャー隊、ブエノスアイレスでカウガール、南極でオーストラリア観測隊に参加・・・絶句。
 彼女と別れた風さんは、小田急線で代々木八幡へ。やや遅れたが、勉強会はまだ始まっていなかった。ざっと顔ぶれを見ると、新しい人がちらほらいる。持ち込まれた原稿も多く、6時までたっぷり勉強し、それから二次会へ。
 実は、勉強会に魔堂さんが来ていた。ところが、私は魔堂さんとメールで約束していたことをすっかり失念していて、また「アルツハイマー鳴海」を認識することに。続いて、二次会の途中で名刺入れがないことに気付き、まさかとは思ったが、代々木八幡神社の講堂の机の下に置き忘れてきていた。慌てて取りに戻り、冷や汗をたっぷり流すハメに。「アルツハイマー鳴海」はほぼ確定的となった。
 二次会がいつ果てるともなく続くので、私は次の予定が気になりだした。そう。次の予定は銀座出没である。で、「私はここで失礼しますので、中締めにしましょう」と提案したら、突然盛りあがっている座が冷え出して、お開きになってしまった。まだ、残っている料理も酒もたっぷりあるというのに。
 勉強会や二次会でゆっくり話ができなかった某女性作家を同伴して銀座へ出撃した。魔堂さんの疑惑のまなざしがねっとりと背にからみついていたが心地よく無視した。
 銀座貴族には、友人が先に到着していた。さっそく同伴作家を紹介し、彼に彼女を任せた。私は今夜の目的のいずみさんを首を長くして待ったのだが、あいにく店は客が多く、ほとんど席に来てくれなかった。でも、彼女の素敵なジャズボーカルは聴けた。そのうち同伴作家の帰宅時間となり、友人が外まで送っていった。私は携行していたノートパソコンで仲の良い葉子さんに「ウィルス退治」の仕方をやってみせたりして遊んだ(銀座のクラブでこんなことする奴がいるか? いるんだな、それが。わしじゃ)。ついにいずみさんも帰宅時間となり、せめてツーショットの写真だけでも、とせがんで下の写真を得た。ばんざーい!

―いずみさんと―
 
2月16日(日)「輝く人の前でとろけそうになった風さんの巻」

 
8時前に起床し、荷物を転がしながら国会図書館へ向かった。
 リクエストした本が出てくるまでの間に喫茶室でモーニングを食べた。窓外の緑が次第に濃くなってきている気がする。空はあいかわらず快晴だ。
 2冊借りて、1冊はすぐ複写へ回す(38枚)。ノートパソコンを立ち上げて、もう1冊を読みながら、気になる部分をメモしていく。
 11時半に国会図書館を撤収し、バスで品川駅へ。明日ブッシュ大統領を迎える永田町周辺は、日米の国旗がそこかしこではためいていた。途中、東京駅で荷物をコインロッカーに預け、ファーストフードの店でサンドイッチの昼食を摂ってから、今日最大の目的である、神田紅さんへお礼の挨拶をするため、池袋演芸場へ向かった。電車を待つ間に、携帯電話でワイフへ「これから神田紅さんに会いに行くよ」とメールした。
 BS-2「週刊ブックレビュー」での神田さんの好意的な紹介には、いくら感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいだ。加えて、ホームページを読んで知った神田さんの前向きな生き方は、私に努力を続ける勇気を与えるものだった。
 池袋の百貨店で花束を買い求め、演芸場を目指した。
 就職してからほとんどテレビを観なくなり、それにともない好きだった寄席の中継も観なくなった。まして、寄席に足を運ぶなど30年ぶりぐらいか。古典落語はほとんど読んだが、頭には入っていない。笑い方も忘れてしまった風さんである。先ず、池袋演芸場の狭さと客の少なさに(想像していたとは言え)胸を衝かれた。芸人の歩む道の厳しさを目の当たりにする思いだ。
 古今亭錦之輔師匠の落語に耳が慣れ、コントD51兄弟の品の良いギャグに笑い方を思い出し、三遊亭右紋師匠の美声に聞き惚れて、いよいよ神田紅さんの出番となった。スターの登場に舞台がぱっと華やいだ。「講談界では、昨年から3年間は、義士、義士、義士で明け暮れます」と切り出したので、おや、と思った。まさか、私が来ていることを意識して、わざとマクラに使っているのでは、と体が堅くなった。「昨年は、松の廊下の事件から300年。今年は、討ち入りから300年。来年は、切腹から300年になります」どっと笑い声が上がった。はたしてさきほどのはマクラではなく、今日の演題は古典の名作、河竹黙阿弥作『仮名手本噂高島』で有名な「赤垣源三徳利の別れ」であった。ただ、不勉強の風さんは、この話を知らない。紅さんが巧みに演じ分ける人物、なかでも源三や女中のたけさんについつい笑いを誘われてしまった。最初の3人の落語やコントも伏線になっていて、笑えば笑うほど紅さんの術中にはまってしまい、クライマックスで源三がたけさんに本懐を遂げたことを語るくだりでは涙がにじんで仕方がなかった。30年ぶりの寄席で泣かされるとは誰が予想できたろうか。かつて三遊亭円楽師匠の「薮入り」を聴いて、師匠も目をつぶり、語りながら、つぶった目からあとからあとから涙が流れるのを見て、聴く方も泣けて泣けて仕方なかったのを思い出した。
 紅さんの高座が終わってすぐ私は、花束を抱え楽屋へ急行した(実は一昨日、紅さんから楽屋の外で待つようにとメールが来ているのも知らなかった)。まだ涙は乾いていなかった。
 狭い楽屋にやがて紅さんが現れて、外で待っていてください、と言われ、私は外で待った。
 地下二階の演芸場からエレベーターで二階の喫茶室へ案内され、親しくお話をしてくれた。テーブルをはさんですぐ向こう側にすわる紅さんは、輝きに満ちていた。しかもその光芒は決して鋭いものではないが、柔和で暖かく、罪深い者をもひれふさせる力をもったものだった。風さんは、腕で支えていなければ、全身がとろけてしまいそうになった。こういう人をスターと言うのだな、と思った。そして、私はもう、どのように感謝の気持ちを伝えたらいいのか分からず、ただ紅さんから一瞬たりとも目が離せず、頭がボーッとしていた。紅さんは『和算忠臣蔵』を持参していて、「サインしてください」と全く立場が逆のことを言われ、私はひたすら恐縮しながらへたくそなサインをしてしまった。さらに名前入りの扇子や手拭いをプレゼントしてくれた。ブックレビューで紹介した後も、「面白い忠臣蔵があるよ」と拙著を持参してきた方の話をしてくれたり、・・・もう、何から何まで、お礼を述べに来たのは私なのに、心からもてなしてくれ、感激の45分間だった。
 演芸場の入り口で別れるときも、紅さんの方から手を差し伸べて、握手をしてくれた。まるで同じ時代を生きる同志のように。駆け出しの小説家の私に勇気を与えてくれたのだ。
 また、寄席で紅さんの講談を聴こう。及ばずながら、紅さんの新たなファンの一人として応援していこうと思った。

―神田紅さんと―
 再び演芸場に戻った私は、三笑亭茶楽師匠、春風亭柳桜師匠の落語を堪能し、後ろ髪を引かれながら、次の目的地へ向かった。向かいながら、また携帯電話で、ワイフに「紅さんは輝いていた!」とメールした。

同月同日「命のバトンタッチ・・・の風さん」
 池袋から早稲田大学前の老舗レストラン「高田牧舎」へ急いだ。
 人と情報の研究所の北村三郎さんのお誘いで、「青木新門さんを囲む会」へ出かけた。青木新門さんは『納棺夫日記』(文春文庫)の著者である。これまでに数え切れないほどの遺体の湯灌をされてきた方だ。
 終戦を満州で迎え、幼い弟や妹の遺体を置いてきたというすさまじい原体験から始まり、早稲田に進んだものの、学生運動に染まって中退。故郷富山へ帰ってからは、小説家を目指しながら家業が倒産、夜逃げ寸前で子供ができ、アルバイトで就いた仕事が冠婚葬祭互助会で、やがて湯灌を専業とするように。世間から忌み嫌われる仕事だったので、周囲から何度も反対され、その都度、辞表を提出しようとしたが、不思議と事件が起きて、湯灌の意義を再認識させられた。結局、湯灌のパイオニア、辞書にもない納棺夫という造語まで作り出してしまう。
 かつては身近なところにあった「死」が、今は人から遠くへ隔離されている。医術の進歩もあるが、小家族化や子供らには祖父母の死に目よりも学校、塾通いを大切にする風潮が悲惨な事件の引き金になっている。
 死んだ人の顔は本当に柔和である。仏様のお顔だ。その死に家族が立ち会うとき、死に行く人も、残る人も、ともに「ありがとう」という気持ちを抱く。「死」は「命のバトンタッチ」なのだ。それが、青木新門さんの訴えたいことだった。
 ご本人はかなりメチャクチャな人生を歩んでこられたようだが、あまりにも多くの死に立ち会ったために、後半生は仏教書に親しむようになったと言われる。直接お会いして言葉を交わしてみると、新門さんの周囲には無数の霊がとりついているようで、明らかに異常さを感じた。しかし、講演で言わんとすることは身にしみて理解できた。
 かつて私も、古川愛哲著『古今東西 死に方コレクション』(二期出版)などを読んで、現代人から「死」が奪われている問題は知っていた。そして、生意気ながら私も死を見つめる作家のはしくれである。死と生は紙の裏と表である。人生とは死ぬことである。人の生は一瞬である。このかけがえのない人生を生きるとき、同時代に生きるすべての人がいとしく思える。一期一会の大切さも分かる。
 上京したわずか二日の間に、篠田香子さんから始まって、魔堂さんや某女性作家など多くの新鷹会の仲間と会い、夜は銀座で友人や親しいホステスの子と会い、今日も、神田紅さんという輝かしいスターであり恩人に会うことが出来、そして、今、北村三郎さん、青木新門さんはじめ参集した多くの人たちと巡り会った。これがかけがえのない人生の過ごし方なのだと思った。
 夜の新幹線で家路についた。車中で、持参してきた文庫の続きを読んだが、とうとう読み終えることはできなかった。しかし、1冊の本を読み終えるよりも収穫の多い旅だった。

2月18日(月)「汝、狂気たれ・・・の風さん」
 昨日は家で終日パソコンに向かって過ごした。途中、用事で庭へ出たとき、梅の木を見たら満開だった。心がなごむ思いがした。K新報社だけでなく、N日報社も『和算忠臣蔵』の紹介記事を書いてくれるとのメールがあった。ひょっとすると、本当に春が近いのかもしれぬ。
 一夜明けて、またサラリーマン生活が始まった。
 帰宅時、本格的に雪が降り出した。そうだ。私は小説家だった。小説家は小説を書くものだ。輝一郎さんの何分の一でもいいから目指さねばならない。そのためにはフツーの人であってはならないのだ。「汝、狂気たれ」自分で自分に言い聞かせながら、まなじりを決して生きていこう。(・・・輝一郎さんは奥様の許しが出たのか、ワインにありつけたようだ。よかった、よかった)

2月22日(金)「もう週末だ・・・の風さん」
 作家としての自覚をもって生きようと、ちょっと無理をしていたら体調を崩してしまった。咳が出ると止まらなくなり、のど飴がはなせない。それでも、症状は重く、夕べはついにダウン。今朝も出掛けに、ワイフから「あなた。肺炎なんじゃないの?」とドキリとさせる台詞。咳も問題だが、人間ドックで指摘された異常の再検査にも行かねばならない。
 新潟日報社から『和算忠臣蔵』紹介記事を載せた18日の新聞が送られてきた。けっこう大きな記事で、すぐ上に、直木賞作家山本一力さんの文章が載っていた。こういう人と並んで紙面を飾るというのは悪くない。
 あいかわらずデスクトップパソコンにつないでいるISDNが不調である。ハードディスクの容量も不足気味で、もうお払い箱にしたいところだが、ぐっと我慢している。でも、ただ耐えているだけではアホらしいので、神田紅さんとのツーショット写真を壁紙に使用して、ひとりで喜んでいる。

2月23日(土)「この馬鹿猫が・・・の風さん」
 書斎でパソコンをいじっていたら、ドアの外で異様な音がした。そこでは、さっきから猫のシルバーが鳴いていた。エサを欲しがっていたのかもしれない。しかし、こっちはずうっと続いているISDN接続のトラブルで気が昂ぶっているので、かまってはいられない。だが、この音には不吉なものを覚えた。
 シルバーはかれこれ10年近く我が家にいる。チビのときから不思議と阻喪はしなかったので、それほど躾る必要もないと油断していた。それが、去勢のために動物病院へ預け、ついでに爪を切って(ばっさりじゃないよ)もらったときの処置のまずさが、小さな大脳皮質のシワに深い傷跡を刻んだ。手足を触れられるのを異常に嫌悪するようになっていた。だから、日頃シルバーの爪を切ってやることが至難である。
 ドアの外には、爪かき用の座椅子が置いてある。もうボロボロである。でも、これにしがみついてヒステリックに爪かきをしているときの音は、聴けばすぐ分かる。が、今聞こえた音は違っていた。違ってはいたが、断続的で神経にさわる響きは、爪かきを連想させた。
 すわっ、とドアを開けた風さんが目撃したのは、段ボール箱に乗って背伸びし、壁に爪をかけているシルバーの不適な姿だった。風さんが「こらっ!」と叫ぶより早く、シルバーは階段を駆け下りていた。続いて、風もドタバタとステップを踏みしめて行ったが、四足にはかなわない。敵は階下のどこかへ姿をくらましていた。
 舌打ちしながら、ふと足元を見ると、エサを入れる皿がからっぽだ。
 それから、しばらくして、夕方、体調のよろしくない風さんが、ソファーでうたた寝していると、なにかぷつぷつと断続的な音が夢の中で聞こえてきた。だるい体を起こして、ふとソファーの背後を見ると、シルバーがソファーの背に爪をかけていた。「こらっ!」
 今度は、決して許せない。廊下へ逃げたシルバーをつかまえて、爪切りで爪を切ってやった。ただし、モタモタしているとこっちが怪我をするので、手際良く2本切ったところでおしまい。2度の爪かきを2本の爪切りでケリをつけた格好だ。だが、この取り引きはどう考えても、飼い主が馬鹿を見ている。

2月24日(日)「パソコンに大はまり・・・の風さん」
 ひたすら言い訳。インターネットに使用しているデスクトップ・パソコンは、某N社のPC98と呼ばれた、昨今MACよりもはるかに目に入らないレアものである。Windows98のことではありませぬぞ。よって、必然的にOSはWindows95である。それでも、CPUからメモリーから、ハードディスクまで増設し、さらにSCSIボードも装填し、スキャナー、TA、MOまで接続していた。デジカメの配線も常時である。
 しかし、もはや限界であった。
 ISDNの接続が不調になったのを機会に、一気にバージョン・アップすることにした。と、ところが、今回新調したハイエンドのノート・パソコンは、OSがWindowsXP。一昨年購入したモバイルのノート・パソコンはWindows98なのよね。ここで、何が起こるかというと、様々の端末機はもとより、プログラムやデータの互換性の問題である。あっちとこっちはつながるが、これをあそこへ持ってはいけないとか、ま、とても文章で几帳面に説明する気にもなれないパニックが起きるのだ。
 ということで、この話は、もう「やめ」。終息したら、報告しよう。ただし、こんな状態なので、小説家休業に近い。怒り狂った風さんは、徹夜覚悟で読書だけは、と意気込んだのだが、今朝の5時には寝てしまった。
 午後、パソコン・ショップへ出かけ、また大量に買い物をしてしまった。
 帰宅してから2週間ぶりのトレーニングに行ってきた。ガチガチの体を1時間半かけて伸ばした。血圧、体重ともに異常なく、体脂肪率は20.2%。帰ってから、またパソコンと対峙している。

2月27日(水)「実は絶不調・・・の風さん」
 ようやく風邪の後遺症(喉の痛み)がおさまってきたと思ったら、年中行事の花粉症が出た。これを薬でだましだましやり過ごしていたら、また激しく喉が痛むようになってきた。商売柄、会社ではよくしゃべり喉を酷使するからである。体調が思わしくないと、判断力も低下する。すると、ヘマをたくさんやることになる。
 最低の会社生活を過ごしながら、それでも無駄に過ごすものかという執念も燃やしている。
 家でパソコンにはまっているだけでなく、会社でもパソコンのトラブルに巻き込まれていた。
 風さんは会社では管理職の席にのうのうとおさまっている(馬鹿だなあオレって)。管理職は楽している反面、不自由なことがある。それはスケジュールである。一担当として仕事をしている者は、スケジュールはおおよそ自分で作り変更も少ないものだが、管理職のスケジュールは部下や他部署が隙間を狙って勝手に作ってくる。さらに変更も多い。そうなると、自分で自分の体の自由がきかず、会議会議で振り回されることになる。1日が終わるころには、明日以降のスケジュールは、その日の朝とだいぶ様変わりしていることになる。まさか、パソコンを担いで帰宅するわけにいかないから、ときどきプリントアウトして持って帰ったりする。
 話がだいぶ長くなった。
 要はPALMを持ち歩こうとしたのである。常にパソコンとシンクロさせておいてね。
 ところが、会社からお仕着せとなっているパソコンのOSは、NTなのである。NTではUSB機器がプラグ・アンド・プレイできないという欠点があるため、これが風さんの計画の大きな障害となった。
 結局、自前のモバイル・ノート(WINDOWS98)をPALMと接続した。続いて、モバイル・ノートに会社のスケジューラ(NOTES4.5)に入り込めるように設定した。最後に、スケジューラとPALM のOSをシンクロさせるソフトを組み込んで、やっと自分のスケジューラを携帯できるようになった。ちなみにPALMは、PEG T400である。
 この作業が終わったころは、もう定時後で、おまけに激しく喉が痛くなっていた。声も出ない。
 帰宅して、まだ読んでいなかった朝刊を開いたら、比較的近くに住んでいる作家、@@さんがサントリーミステリー大賞受賞という記事が出ていた。昨年の雪辱を果たしたことになる。昨年は惜しくも大賞を逃し、優秀作品賞だったのだが、この近くの作家で集まってお祝いをしたものだ。その後の消息は知らなかった。先ずは、お祝いを申し上げます。さて、1年ぶりでどのような変貌を遂げているだろうか?
 

 気まぐれ日記 02年3月へつづく